• 2018年02月22日(木)
  • 【特集】ホスト界のレジェンド「陽生」遂にAIR GROUPへ!
ホスト界のレジェンド「陽生」遂にAIR GROUPへ。 ホストの一時代を築いた男、陽生。数々の伝説を作り上げた強さとカリスマ性は他を圧倒。現役を引退した今なお、彼に憧れる者は多い。プレイヤーとしての6年間はどのようなものだったのか。そしてAIR GROUPを次の舞台に選んだ彼の、今後の展望とは。
INTERVIEW 1日10組、携帯代15万、外まで続く行列。
休むのも惜しいくらい仕事していた。

―陽生さんといえば、何と言ってもあの「東西ホスト売上対決」が印象深いですが。
 そうですね、特にその2006年はメディアに一番出ていたときかもしれないです。当時大阪のトップホストだった楓十座くんとの東西対決も、放送翌日から反響がすごかったです。僕に会いに来てくれたお客様の行列が、もうお店の外まで(笑)。基本1日10組、お店に入れても僕は2~3分しか着けないっていう状態でした。当時は携帯電話も送受信だけで料金が掛かっていたので、携帯代が15万とか。それが2年半くらい続いていたので、僕も休むのが惜しいくらいずっと仕事してて、有休が貯まる一方でした(笑)。

―様々な出来事があった中で、一番印象に残っていることを一つだけ挙げるとしたら?
 初めてNo.1になったときですね。継続できる自信とモチベーションが合致してから1位を獲りたいと思っていたので、結構時間がかかったんです。これから追われる立場になるんだなっていう焦りも生まれたし、“店舗の一番”に恥じぬようにしようっていう自分への戒めにもなりました。ただ、その年に「第一回ホストグランプリ」があったんですけど、各店舗のNo.1ホストたちに圧倒されて、出鼻を挫かれたというか……。自信に満ち溢れていた部分が、たかが一店舗の中だけのものだったのかなって気付かされた感じでした。No.1はずっと継続してたんですけど、第二回グランプリを獲るために一番を維持していこうと、そこで改めて気持ちが引き締まりましたね。

―No.1記録はどのくらい継続していたんですか?
 23カ月でした。24カ月目は、締日含めて5日間京都にロケに行ってたっていう(笑)。今でも覚えてるんですけど、ロケに行く前に800万くらい離していったんですよ。そしたら締日の翌朝に内勤から電話があって「800万まかれたよ」って。ちょうど4月1日だったので、一瞬エイプリルフールかと思いました(笑)。そのときはめっちゃ落ち込みましたね。年間売上、指名本数、1日の売上……全部の記録を更新したんですけど、連続No.1は僕の先輩が創ったV24を超えられなかったです。
グループの取り組みと未来に魅力を感じ、「AIR GROUP」という会社を全国区にしたいと思った。

―ホストを辞めた後はどうしていましたか?
 今までの自分を一度浄化したくて、世界一周しようと思ってたんです。まず“天国に一番近い島”って言われてるニューカレドニアに行ったんですけど、2日目にはもう帰りたくなりました(笑)。結局2週間くらいいたけど、そのとき日本の知人から「BARやってみない?」って連絡があって。そこで自分の休暇は終わりましたね。
 ブランドの立ち上げやBAR、美容室の運営、様々なエンターテイメント性のあるビジネスを経験して、また新しいジャンルに挑戦したいと考えていたとき、縁があってAIR GROUPのお話を頂きました。グループの今後の展開に興味があったし、会社としてすごくしっかりしているところにも驚きました。社員食堂があったり福利厚生が整っていたり、夜の業界ではあまり見たことがないくらいでしたね。
 あと、AIR GROUPに入ることが決まったときにある言葉を頂いたんです。これまで自分が生きてきてそんな言葉を貰ったのなんて、親とか、本当に近い人くらい。だからすごく嬉しかったし、ずっと心に残っています。僕がこのグループで出会っていく、関わっていく子たちにも自分の言葉でしっかり伝えていきたいという気持ちになりました。

―AIR GROUPでは今後どんなことをしていくんですか?
 AIR GROUPのBARやホストクラブの店舗を周らせてもらって、お店の雰囲気や特徴を掴んだり、男の子たちとコミュニケーションを取っています。僕の今までの経験がその子の夢や未来への近道になればいいなと思うので、どんどん話していきたいですね。
 そして西日本でAIR GROUPのナイトビジネス事業をもっと広めていく為に、様々な展開に携わっていきます。まずは今年の春、僕の地元である広島に新しくBARを出店するので、今はその宣伝の仕方や戦略をすごく考えています。時代に合ったやり方で広島の街に浸透しやすいようにするにはどうすべきか、AIR GROUPの良さも取り入れていきたいですね。
 これから、このグループを全国区の会社にするために一生懸命動くので、よろしくお願いします。

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HISTORY 
2002 広島から上京。翌日に歌舞伎町でホストを始める。
2005 第2回全日本ホストグランプリでグランプリ受賞。
   年間売上1億9000万達成。
2006 年間売上1億4000万達成。
2007 年間売上1億900万達成。

23カ月連続No.1、プレイヤー通算売上約6億円、指名本数5300本以上。
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SHOPLIST -店舗一覧-

A LABEL

CLUB AIR  (クラブ エアー)
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CLUB  ALL WHITE (クラブ オールホワイト)
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CLUB ALL BLACK (クラブ オールブラック)
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CLUB  ART (クラブ アート)
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CLUB AUB (クラブ オーブ)
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CLUB A.I.M (クラブ エイム)
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CLUB ALF (エルフ)
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CLUB  ALL NOTORIOUS (オールノートリアス)
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ARK (アーク)
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AUB FIRST (オーブ ファースト)
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A LAVEL (NATIONAL BRANCH)

CLUB ALLWHITE-west (オールホワイトウェスト)
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CLUB AIR SAPPORO (クラブ エアー札幌)
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CLUB AIR Pure (クラブ エアー ピュア)
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FRANCHISE

CLUB LALA (クラブ ララ)
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CLUB ANTHEM (クラブ アンセム)
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NUMBER ONE (ナンバーワン)
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CLUB EARTH (クラブ アース)
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AIR BLACK PEARL (エアーブラックパール)
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CLUB L’OR (クラブ ロール)
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PLATINUM (プラチナ)
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CLUB LUCIR (クラブ ルシール)
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CLUB ARIA (クラブ アリア)
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CLIB LIBRA (クラブ リブラ)
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RK

CLUB RHYTHM (クラブ リズム)
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Re:Act (リ:アクト)
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